(1あたり)と(いくつ分)

  • 「生徒が(1あたり),(いくつ分)の観念をもっているかどうかを確認するにはどうしたらよいか.ただし,(1あたり),(いくつ分)をあらわす用語を用いてはならない」という容易でない課題に対する苦し紛れの策が,「かけ算において必ず(1あたり)を左に,(いくつ分)を右に書くようにする」だったのだろう.しかしその順番で答案を書いているからといって,(1あたり)と(いくつ分)の観念をもっているとはかぎらないし,その順番で書いていないからといって,(1あたり)と(いくつ分)の観念をもっていないとはかぎらない.
  • かけ算において(1あたり)と(いくつ分)の現れ方は implicit である.(1あたり)と(いくつ分)の観念があらわになるのは,それらが
    (1あたり)=(全体)÷(いくつ分),(いくつ分)=(全体)÷(1あたり)
    のように explicit に書かれるとき,すなわちわり算を考えるときである.
  • 教えるのがむずかしいのは,かけ算ではなくわり算であろう.かけ算の教え方が妙なことになっているのは,わり算の教え方に自信がもてないことからくるように思われる.「わり算が理解できるかどうかは,かけ算を習ったときに(1あたり)と(いくつ分)の観念を習得するかどうかにかかっていて,習得できていないことがわり算を習うときになって判明したのでは時すでに遅し,とりかえしがつかない」という焦りがかけ算の教え方をゆがめてしまったのではないか.しかし,「(1あたり)を左に,(いくつ分)を右に」を徹底したところで,わり算の習得がスムーズにいくわけでもあるまい.

http://d.hatena.ne.jp/yoshitake-h/20110712
http://d.hatena.ne.jp/yoshitake-h/20110725