ヴェイユとフッサール

数学というものは──それを数学のよいところと思う人も,よくないところと思う人もあろう──長い間に細心に集められた細かいことがら,辛抱強い読書や観察,一つずつ集められたカードの集積から漸く着想ができるというような学問ではないのである.数学においては,知識のどの部門よりもまさって,アイデア創造者の頭の中から武装されたままで生れて来る
アンドレ・ヴェイユ,数学の将来,1947)

低迷するわれわれの研究活動の行く手を照らすべき理想として,われわれが渇望する《体系》とはいったい何を意味するのであろうか? それは伝統的な意味での哲学《体系》のことであろうか? 比喩的に言えば,一人の創造的な天才の頭部から武装した完全な姿でこの世に生まれ,そしてやがて後世には他の同類のミネルバたちと共に静かな歴史博物館の内部に保管される,あのミネルバのことであろうか? それとも,数世代にわたる膨大な準備研究の後に,疑う余地のない確実な基盤の上に真に根底から築き始められ,そしてちょうど堅牢な建造物のように,洞察の指示に従って建築用材を一つ一つしっかり積み重ね接合することによって,堅固な高楼に築き上げられる,そのような哲学の理論体系のことであろうか?
エドムント・フッサール,厳密な学としての哲学,1911)

ひょっとしてヴェイユ先生,フッサールをディスってる?