遠山啓「無限と連続」岩波新書 (1952)

ISBN:9784004160038
昨日のカワウチさんのことばを思い出しながら拾い読む.

何気なく使われている言葉の中にも,よく考えてみると,たしかに興味あるものが含まれている.

例えば,「遠い過去」「近い将来」という言葉がある.また「近い親類」といっても近くに住んでいる親類ではなく,血縁が近いという意味である.さらに,「知識が広い.」とか,「度量が狭い.」というのがあるかと思えば「大きい人物」とか「小心者」という言い方もある.

「遠い」[近い」「広い」「狭い」「大きい」[小さい」という形容詞は距離,面積,体積等に関するものであって,本来空間的な性質をもったものである.ところが上の例では,それらの言葉が,時間とか,知識とか,性格とかに関する形容詞に流用されている.このような流用の実例は気をつけて数え上げるといくらでも見つかるにちがいない.

このような流用は偶然だろうか.単なる偶然と考えるには余りにもしばしば出会う実例であるし,また我々はそれらを不自然と思わないまでに馴れっこになってしまっている.これはむしろ,我々人間の考え方の中に根強い空間化の傾向,つまり,時間の差や,ある性質の程度の差などを,一度空間的な尺度に引き直した上で,一層明瞭に,一層生き生きと目の前に浮び上らせようとする傾向がひそんでいるためではあるまいか.

デカルトが数学に対してなしとげた不朽の業績は,解析的な手段,平たく言えば式とか計算の手段によって図形とか空間とかを研究する路を発見した点にある.図形を見る眼に計算する手を与えたのである.その際,座標という手段が二つのものを結びつける通路となったわけである.つまり解析学という太平洋と幾何学の大西洋をつなぐパナマ運河の役割を,デカルトの座標が演じたことになる.

しかし,この運河はもちろん片道通行ではなかった.それは眼に手を与えただけではなく,計算する手に見る眼を与えた.すなわち解析学幾何学の図形的直観で考える道をも開いた.

この空間化の方向を一層大胆に,徹底的に推し進めたのが現代のトポロギーであるといえよう.トポロギーは位相幾何学とも訳されているが,この訳語はここでは使用しないことにしよう.

なぜなら,トポロギーの研究する範囲は単なる幾何学的図形ばかりではなく,それよりははるかに広い分野にわたっているからである.トポロギーの意図するところはもっと野心的であって,さっきのべた空間化の傾向一般を理論づけたものといえよう.

すでに一世紀以前において,ガウスはトポロギーが数学の最も強力な方法となるであろうと言った.ガウスのこの予言は正に適中して,トポロギーは数学のあらゆる部門に浸透して,到る処で,代数学にも,幾何学にも,また解析学にも,大きな思想的転回を促した.そして現在のところ,トポロギーの影響力に限界を引くことは誰にも不可能なのである.