ヤロブアム2世時代の知識人層

アモス書やホセア書の解釈として,北王国のヤロブアム2世時代の繁栄における貧富の格差への批判を強調する見方がある.
しかし,この政治的・経済的安定期に知識人層が育ったからこそ,そのような社会批判がなされたのではないか.そして彼らの思想が,その後のアッシリアによる北王国滅亡という破局の中から旧約聖書の神学を生み,それが南王国に伝承された.
南王国においても,親アッシリアであったマナセ王時代の安定期に育った知識人層が重要であろう.マナセの父ヒゼキヤの反アッシリア路線に対しイザヤは批判的であった.