パース「連続性の哲学」岩波文庫 (2001)

連続性の哲学 (岩波文庫)

  • あらゆるタイプの推論は,それが十分に展開されるならば,自己訂正し成長する生き生きとした力をもっている.
  • 人がもしも本当に真理を学びたいと望むのであれば,その途がいかに横道に逸れたものであったとしても,間違いなく最後には結局,真理への途へと導かれることになるであろう.探求方法にかんするその人の考えが最初はいかに誤ったものであっても,その探求方法が真摯な欲求に突き動かされたものである限り,彼はいずれその方法を訂正することを余儀なくされるであろう.いや,その人が最初はそれを半分しか望まないとしても,経験が十分に長く続けられさえすれば,真理への欲求が他のすべての欲求に打ち勝つことであろう.
  • 学ぼうとする意志が前提とする第一の事柄は,自分自身の現在の信念状態にたいする不満である.そしてここにこそ,われわれのアメリカの大学が,かくも低級で役立たずであることの秘密がある.
    われわれの大学は文明の発展のために何をしてきたのだろうか.アメリカの大学がどんな偉大な思想を生み出したというのか.その産物であると本当に言えるような一人の偉人がどこにいるのだろうか.イギリスの大学は長いあいだ怠惰の風潮に染まりきってきたし,現在でもそうであるが,それでも過去にはロックやニュートンを生み,われわれの時代にはケーリー,シルヴェスター,クリフォードを生んでいる.ドイツの大学はこれまでずっと全世界の光であった.中世に創立されたボローニア大学はヨーロッパに法体系をもたらした.スコラ哲学はパリ大学で栄え,今では見下されているが,そのパリ大学がアベラールを生み出して,そこからデカルトを育て上げた.ヨーロッパの大学とアメリカの大学に見られるこうした相違の理由は,彼らの大学が「学ぶための組織」であるのにたいして,われわれの大学が「教えるための組織」であるということにある.他人に教えようという気持ちで一杯になっている人の心は,自分が教えなければならないことが決定的に重要で絶対に真理だという考えに,完全に占有されていなければならない.一方,人が研究において何ほどかの成功を収めるためには,その人の心は,自分の現在の知識の状態にたいする不満の意識で一杯になっていなければならない.二つの態度はほとんど妥協不可能である.